妖精を見るには妖精の目がいる
実は2年ぐらい前からロッククライミングという趣味をやっている。主にジム通いだけど、ボルダリングもやるしロープもやっている。はっきり言ってまるきりヘタだし、このまま何年経とうが上達しないままだと思うが、これはこれで楽しい。
それで、他人のやっているのを眺めていたりするのだが、クライミングが上手い人というのは本当にすいすいと登っていく。あまりにも自然な体の動きでいともたやすく登って行くから、下から見ていると「なんだあれぐらい自分にもできるよ」とか思う。ところが見るとやるとじゃ大違い、やってみると全然できない。
下から見上げる素人は、見るべきところが分かっていない。ほんとうに重要なポイントは、実は体重のかけ方だったり、足をもう数センチ右にもっていくことだったりするけど、そういうポイントは素人の目には止まらない。だから、見ているようで、真似できるほど見えてないわけ。ある程度の経験があってはじめて、見て勘所がわかるようになる。
と、偉そうなことを書いたけど、その辺は自分もまだまだであり、その辺がいつまでも下手な理由のひとつだと思う。たぶん、うまい人には想像力がある。ホールドだけの状態から、もしくは他人が登ってるのを見て、自分がどう動くべきか想像できる。どういう姿勢だと楽になるかということがわかるのだろう。
先日書いた、翻訳のうまさにも、たぶんそういうところがある。自然な訳文を手にしていると、それが出てくるのは本当に自然で当たり前に見える。原文にたいして、いかにも自然な「あるべき言葉」がそこにあるだけなので、その対応関係は一目瞭然だ。でも英文だけを前にして本当に自然な日本語をひねり出すのは、もちろん尋常なことではない。「なんだこんなことか」と思って自分でやってみると、いかに大変なことかということがわかるはずだ。
たぶん、いろんな専門分野について、同じことが言えるのだと思う。経験の積んだ専門家がいともたやすくやってのけているからといって簡単なわけではない。それが簡単に見えるっていうのは、単に見えてないだけなのだ(本当にむちゃくちゃデキる奴だった、という可能性もあるけど)。専門家の凄さはわからないけど、素人の無様さなら見るだけでよくわかる、というのも同じかも。
それでいったい、専門家はどうやってそんな凄い能力を身に付けられるのか、って思うんだけど、けっきょく楽な道はなくて、地道に練習を積み重ねるしかないってのも同じなのかな、とか。最近そんなことを思っている。