はやぶさは何が素晴らしいのか
7年間の長い旅程を終え、はやぶさは無事地球に帰ってきた。大気圏突入によって燃え尽き、カプセルの射出も成功、とりあえず予定とされている分は全て完遂したわけだ。カプセルの回収も出来ていて、そちらはまだまだということになるが、ひとまず安心したし、プロジェクトを完遂したJAXAのチームはほんとうに凄いと思う。
でも、正直に言わせてもらうと、ネットでの盛り上がりを眺めていて、引いた。泣いちゃうとかね、これはどうなんだろう、と思いました。
はやぶさのプロジェクト自体はとても野心的だったし、完遂したことそれ自体は敬服に値するとてもすごいことだと思う。特にイトカワ近辺で通信が途絶してから復帰するまでの帰還というのは、精神的にも相当しんどいことは容易に予想がつく(というか俺だったらそんなのやりたくないなーと思ってしまう)。でも、どうも、宇宙機を擬人化してそういう反応をすることに自分は相当な警戒感があるのかな、と思った。
ちょっと考えてみて欲しいんだけど、はやぶさにもし何の支障も発生せず、普通にイトカワに到着し、淡々とミッションを遂行し、予定通りに帰ってきたらどうだろう。これほど盛り上がっただろうか。みんなここまで感動しただろうか。おれは、そうはならなかったろうと思う。満身創痍の宇宙機を擬人化して、それを哀れに思い、健気に感じたからこその盛り上がりなのではないかという気がする。でもそれって正しいこと? 予定通り完璧にミッションをこなしたのなら、今のはやぶさよりもっとずっと褒めたたえられるのが正しいはずだ。どうもそこには、極端な表現をするならば、一種の理不尽さがある。
誰かがこれはデスマーチなプロジェクトといっしょだと言った(おごちゃんも書いていた)。その通りだと思う。デスマーチの頑張りを称えるのはナンセンスだと思う。もちろん、デスマーチだから駄目だというのもナンセンスだろう。結果がどうだったかが重要ではないかと思っている。
この種の盛り上がりを警戒する理由は二つある。
一つは、こういう感情的な盛り上がりは容易に加熱して、欠点を覆い尽くしてしまうからだ。言うまでもなく、はやぶさには課題がある。当初の目的の達成度は満点ではない。特にイトカワ近傍でのマニューバはけっこう失敗が多かったと記憶している。はやぶさ2が計画されるのはそのためだと思う。こういう運用の知見というのは、放置すると失われてしまうものだからだ。
あと人間は飽きっぽいので、感情的な盛り上がりはわりとすぐに冷める。何人の人間が一年後まではやぶさのことを覚えているだろうか、とちょっと気になる。
第二の理由は、擬人化することの弊害だ。たとえば、はやぶさ2が実際にスタートして、やはり似たような状況により通信が途絶したとする。しかし今回は諦める方が得策という状況はわりとありうる。たとえば帰還のための運用ノウハウはもうあるから、とかね。でも、擬人化して感情的に盛り上がることで合理的な選択が取れなくなるかもしれない。
科学的なプロジェクトは合理的に選択するべきだし、遂行するべきだと思う。はやぶさにしても、意外と早く通信が回復したのでなんとかなったが、この時期までにこの段階に到達していなければ無理という物理的なデッドラインはあったはずだ。でも感情はそういう論理を覆ってしまう。
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まぁ、そうは言っても「俺もマーカーに名前が入れてもらうぐらいには当初からはやぶさを応援してたのに」という気持ちがないかというと、実際ある。というか、今が最高潮すか、みたいなのが近いかな。イトカワ近傍での様々なマニューバとその結果をニュースで見ながら一喜一憂したり、通信が回復した時の感動と比べると、今はまあ帰ってくるべきものが帰ってきたので、「いやあよかったですね、おめでとうございます」という感じである。油断ならない状態からほっと一息、というのが近いか。だからそこまで感動している人たちのことはよくわからないのかも。
ただ、無理くりに引きずりだした論点だとしても、ちょっと面白い点は突いていると思う。あなたは、はやぶさの帰還に感動しただろうか。だとすると、それはどの点だろう。はやぶさが満身創痍で、プロジェクトが失敗の危機に瀕しながら完遂したからだろうか。だとすると、それは違うんじゃないだろうか。
コメントテスト
>予定通りに帰ってきたらどうだろう
むしろちょっとコチラのほうが違う気がします。
はやぶさにあらかじめ辿れる予定があったとは思えませんので・・・。
誰もやったことが無いことの予定ってのは単なる予想・妄想ですし。次からは予定と言えるようになりましたけども。
なので誰かが上手くやったことがあるのに失敗しかかってるそのへんのデスマーチと一緒にはできないと思われます。(実際スイングバイ以降どこで中座しても成功といえば言える状態だったわけですし。)
擬人化については、技法の一つですよね。
せっかくの巨大な意志力が発生したわけですから上手いこと使いたいわけで、多少ノイズが乗っても伝達力の高い技法を使いたくなるのもむべなるかなとは思います。
「冷める」問題は、保存性の問題で、放送メディアの特性的に今までの垂れ流し型メディアでは難しかったですが、今回のはネットメディアが主体で従来メディアは及び腰って言う特性がありますので、結構違った様相が見れるのではないかと期待しています。(ニコニコ動画さん等でも、息が長い素材ですよね。)
こっそりやるのもいいのですが、その結果がはやぶさ2の予算削減ですから、せっかく産まれた意志力ですので思う存分増幅させたり使ってみたりするのもいいと思います。むしろして欲しい。
はやぶさだって自然発生で地球から飛び出てイトカワ行って戻ってきたわけではないですからね。
その辺日本はちょっと理性的になりすぎるキライがあると思います。早速俺らもやるぜやるぜ!になってる欧米の無邪気さアホっぽさがもうちょいあってもいいかなと。
コメントありがとうございます。
ただ、ご存知かとは思いますが、はやぶさには当初の目的があり、旅程がありました。予定もありました。そして実際には様々な機器トラブルや予期しない問題があり、当初の目的の全てが成功したわけではありません。今回の帰還は予定より3年遅れています。イトカワ近傍で通信が途絶し、一時期は帰還が絶望視されていました。もちろん、これだけの長期プロジェクトで予期しない問題が起こらない方がおかしいのですが、あくまでも思考実験なので。
あとべつにデスマーチという言葉でプロジェクトを貶めたいわけではありません。プロジェクト中、とくにはやぶさがロストしていた頃は、終わりが見えなくなって精神的にしんどくなって、それでも頑張っていたのではないかと思います。そういう状況がデスマーチと似ているのでは、という話です。成功とか失敗とか誰かがやったことがあるとかないとかはあまり関係ないかと思います。
擬人化について、おっしゃられる点は同意します。中の人的にも、理由はなんであれ人気が出るのはチャンスで、こういう盛り上がりを逃しちゃいけないとは思います。が、まあそれは中の人が考えることかとも思います。
というか、擬人化するのが嫌いなのはもっと個人的な感覚が主で、↑ではそれをいろいろ理論武装してるだけなのかもしれません。
単純に物語として皆さん感動しているんだと思います。
巷の小説を見ても、ミスのないパーフェクトなミッション遂行な話よりも、問題や苦難があってそれを乗り越えて最後にはやり遂げる話がたくさんあり、感動も大きくなります。
スポーツでも圧勝なんかより、さよなら逆転の方が盛り上がりが大きいのと、構造は同じなのだと思います。どちらの選手が優れているかは一目瞭然だが、感動してしまうのだからしょうがない・・・という所でしょうか。
「地球に優しく」なんていう言葉は地球を擬人化したかなり戦略的な言葉ですが、はやぶさの擬人化(というよりもキャラ化?)はファンの間で自然発生したものです。良い悪いではなく、そうしたい物語性をはやぶさミッションが持ち合わせていたための必然だったのではと考えています。萌キャラが多いのは、まあ今時なのでしょう。(笑)
公的な擬人化荷担は愛称を付けていたことくらいでしょうか。
熱しやすく冷めやすいのは人間の性ですが、その中に数パーセントの「目覚めた人」がいればこの盛り上がりも悪くないように思えます。
はやぶさ検索でこちらに来ました。
はやぶさの事は今回アメリカでニュースになるまで知りませんでした。 NASAの科学者が他の惑星にいって砂を回収すること、それを持って地球への突入の時に燃焼させないで持ち帰る事、全ての操作が非常に困難であるのに、それを成功させた日本のチームを褒めたたえています。 「帰ってくるべきものが帰ってきた」とはあなた個人の見解じゃないでしょうか。JAXAのチームは決してそう思っていないでしょう。 そしてNASAの科学者達もそう思っていはいないようです。 最後の最後まで科学者達の頭脳を駆使し努力があったこそ実現できた。 それを日本国民全体が喜び、誇りに思うのは当然でしょう。 喜びの表現はどんな形でもいい。 その人気が今後の予算編成に加担できればもっと良い。
話題性があるから報道する、話題性があるから大衆がそれに飛びつく。
それ以上でもそれ以下でもありません。
そして、ただ素晴らしいと褒め称えるだけの人たちと言うのは、あくまでも「大衆」です。
科学者、技術者たちは、きちんとこれらに根拠のある正当な評価を下すはずです。
正当な評価というものは、必ずしも愉快なものであるとは限らないので、報道がされないこともあります。
報道がされないことと、事実が存在しないことは異なります。
一般的な報道というものは、人々の知識欲を満たすだけの、一種のエンターテイメントなのです。
また、こういう話題に対して警鐘を鳴らす人は常にいます。
しかし、その人はその話題について、「大衆」の側にいる人間です。
誰が心配せずとも、巨大なプロジェクトが水面下で問題なく、
あるいは問題を解決しながら進行していることは往々にしてあるものです。
コメントありがとうございます。自分としてこういうレスポンスをどう受け止めるか考えているところです。
「アメリカ在住の者」さんへ。その段落にも書いてあるように、私はイトカワ接近時などがプロジェクトの山場だったと考えています。当時もネット上では(今ほどではないですが)盛り上がりを見せ、私もそういったネット情報を読んでいました。また、その後に通信途絶したときの絶望感、復帰した時の喜びもよく覚えています。
そうした感情に比べると、まさに今、期間したタイミングというのは最後の一歩がようやく来た、という安堵の気持ちの方が強いということです。もちろん、通信が回復してから帰還するまでの数年間が万事順調だったわけではなく、そう簡単に「帰ってくるべきもの」と呼べるものではないのは重々承知しています。が、私にとっての感情の山場は数年前だったなあ、と。言うまでもなく、はやぶさプロジェクト自体が簡単なものだという意味ではありません。
お返事ありがとうございます。
確かに計画として目標と予想はありましたが、予定と言えるほど定めることが出来たかどうか、という問題です。もちろん観測や計算などの資産から求められるものはあったとは思いますが、誰もそれをしたことが無い以上、それはやはり予想(こうなるだろう)であって、予定(こうなっています)ではない。という事です。史上初ってのはそういうもので、はやぶさの実証によって今後初めて(同じことが今後あるかどうかはわかりませんが)予定を組むことができるようになったわけですので、そこを見誤るのはマズイ気がします。
擬人化の嫌悪感もよくわかります。私自身、「技法の一種」とかあっさりコメントしてますが、結構根が深い問題で、おそらく今後何十年後には割と大きな問題になってる可能性も高いです。非実在青少年なんて言い回しも記憶に新しいですし、AIやロボットももっと現実味を帯びてくるでしょうし。その頃社会的な落とし所がどこに落ち着くか分かりませんが、それだけにいまのうちからたくさんシミュレートしておいて欲しいです。(そういう意味でもここで多くの擬人化現象が起きるのは興味深いところです)
>イトカワ接近時
ちょうどそのあたりでJAXAから出てくる情報が量も質も跳ね上がった気がします。おかげで私もかなりワクワクしながら追いかけさせていただくことができました。もう結構前のことなんですねえ・・・。