科学と神秘のあいだ

This entry was posted by on Sunday, 28 March, 2010

科学と神秘のあいだ

webちくまでの連載エッセイをまとめたもの。webちくまって古いやつはもう読めなくなってるのかな。発見できなかったのでリンク略。連載も、途中で追っかけるのが億劫になり、結局読んでいなかったのだった。

著者の菊池誠さんは阪大所属の物理学教授だが、個人的にはやっぱりSF者としての側面がすぐ思い浮かぶ。菊池さんは著名なSFファンであり、それ以外にもいまはなきSFオンライン誌に書評を連載していたし、たまにS-Fマガジン誌でも科学ネタを紹介する記事を書くこともある。ディックのファンとしても知られ、ニックとグリマングの翻訳もやった。ロックとテルミンを愛好する。

この本は著者のそういうところがダイレクトに出ているという意味で素晴らしい。『トンデモ本の世界』を期待するとずっこける。

『トンデモ本の世界』はもちろん大変面白い本だし、ためになる。ツッコミは鋭く、笑える。

この本はわかりやすい答えを出さない。ツッコミを入れない。ロックとかテルミンとか、アポロについても、個人的な体験と科学的な知見の間を行ったり来たりさまよって、うろうろして、ちっとも本題に入らない。ように見える。だが、うろうろしてさまようことそれ自体がこの本の本題だ。

個人的な体験には何でも起こりうる。それはその通りで、だからそれとどう付き合っていくかにある。

それはさておき、年末ジャンボ宝くじには一等が数十本ふくまれている。いま「買ったって当たりっこない」と書いたけど、そうはいっても何十本かは確実に当たるので、誰にも当たらないというわけじゃない。そりゃそうだ。誰にも当たらない宝くじなんか、誰も買いっこないもの。当たりは必ず出るんだから、当たりが出たって驚く必要はまったくない。それが一等だったとしたって、驚くことじゃない。だって、当たりは必ずあるんだから。

でも、もし自分が買った宝くじが一等になったら、びっくりするよね。確かに必ず誰かには一等が当たるはずだけど、それが自分だったらびっくりするに決まってる。もしかしたら、びっくりしすぎて、何か理由を考えてしまうかもしれない。宝くじを買う前にたまたま神社にお参りでもしていたら、お参りのご利益だと思うだろうし、普段と違う帽子をかぶっていたらそのおかげだと思うかもしれない。

もちろん、本当は理由なんかなくて、自分が一等の宝くじを手にしているのは、ただの偶然。誰かの手には必ず届くはずだった当たりがたまたま、本当にたまたま自分の手にあるだけなんだ。でも、頭でそれがわかっていたって、やっぱりびっくりして、何か理由を考えちゃうかもしれない。少なくとも、「奇跡だ」とは思うんじゃないかな。

こうして、年末ジャンボ宝くじは毎年奇跡を作り出している。この奇跡は必ず起きる。そして、その一部は様々な個人的な信心だとかジンクスだとか、そんなものを生み出しているに違いない。

ちょっと長い引用だが、この一節はこの本の大事なところが詰まっていると思う。奇跡は起こる。でも、それは客観的に見ればただの偶然かもしれない。もちろん、個人的な体験を捨て去ることはできないし、捨てるべきだとも思わない。ただ、それ科学はそういうものではないということ。個人的な体験を抜きにした普遍的な知識が科学だ。

この本では科学は「身も蓋もないもの」とされている。科学は個人的な体験を説明しない。神秘的体験を説明しない。時として身も蓋もない事実を明らかにしてしまう。そういうものだ。だから便利な面もあるけれど、まるで役に立たないこともある。

科学者だって誰だって人間なんだから個人的な体験はある。その個人的な体験と、普遍的な事実は別なものだ。それを受け入れること。両者の折りあいをつけること。この本のテーマはそこにある。

なかには「ああ、f分の一ゆらぎだから心地いいのか」なんて納得しちゃう人もいるかもしれないよね。だけど、その納得のしかたは間違ってると思う。

将来さらに説明が進んで、「f分の一ゆらぎを含む音を聴くと、脳の聴覚野のどこそこがどう反応して、これこれという脳内物質の分泌が促進されて、その結果として心地よい気分になる」くらいの詳細なメカニズムがわかってしまう可能性だってある。もしそうなったとしたら、「この音楽はそういう理由で心地よいのか」なんてみんなが納得しちゃうんだろうか。

いや、詳しいメカニズムが明らかになったとしても、それは音楽が持つ神秘を本当には説明しないにちがいない。メカニズムを解明するところまでは科学だけど、音楽を「感じる」感覚は科学とは別で、それは理屈を越えた何かだと思うんだ。

神秘は人の心の中にある。だから、科学的で客観的なものの見かたと神秘とは決して両立しないものじゃない。だいじなのは神秘の領分と科学の領分に折りあいをつけること。

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