アラン・ベネット『やんごとなき読者』

This entry was posted by on Thursday, 20 August, 2009

ある日突然、エリザベス二世が読書に目覚めてしまい、いつでも何かの本を読んでいる状態に。公務は滞るわのべつまくなしに本の話題にもっていくわで周囲は大混乱……という顛末を描いた愛すべき佳品。

女王の読書する姿が楽しく、愛らしいのが特徴で、現実のエリザベス女王がどうなのかはともかく、その姿が大変いい。かつまた周囲の空気も読まずに発言するあたりも素敵で、フランス大統領との会見で作家のジャン・ジュネについて「同性愛者でしかも囚人でしたけど、でも本当にいわれているほど悪い人でしたの?」と話しかけてしまい大統領が困惑、という冒頭のシーンからしてつかみは完璧。

女王の読書のガイドとなる少年はゲイ作家を偏愛していてそういう作品ばかり勧めてきたりといった権威をからかう風潮が作品全体に漂っていて面白いが、まあそう堅苦しく考えずに読めばいいと思います。

ただ、「知的でないことの重要性」と題した解説などで展開されるこの作品の読み方には正直、ちょっと疑問が残る。読書をすること、引用をすることが知的かというとよく分からないし、正直なところ女王にとって周囲にとって読書という行為ははっきりと害悪である。なんせつまらない公務は(読書時間を削るので)女王は退屈するようになってしまうし、女王との会見でもこれまでの当たり障りのない会話ではなく、その時女王が読んでた本にまつわる当たり障りのある話になってしまう。この場合、読書はぜんぜんいい習慣として描かれない。

そしてなにより、そんな読書をする女王のことを周囲のほとんど誰も理解できない。役に立つ本、書類は読むけれど、文学や何やかやはものの役に立たないし、だから誰も読んでいない。ここがこの話の本質という気がする。女王は楽しみのために読書をする。知的であるとかないとか、役に立つとか立たないとか、そういうものを読んで周囲がどう反応するかとかは一切省みずに読みたいものを読み続けること。それによって楽しみを得ること。読書ってのはそういうことなんじゃないかなあ。

この本は、人生を変えるだの視野を広げるだの他人の身になって考えるだのといった「読書の力」ではなく(証拠に本書のエリザベス二世を見よ。ぜんぜん他人の身になって考えちゃいないのだ、このバアさんは)、そういうくだらないことからかけ離れた、単なる「読書の楽しみ」を高らかに歌い上げている。と、俺は思う。

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