人名を使うということ

This entry was posted by on Friday, 4 January, 2008

どこかで誰かが書いていたが、ナントカの法則とかナントカの方程式とかいう場合に東洋は人名を出さないが西洋では名前を出して、その人物の栄誉を称える傾向があるんだとかどうだか。本当かどうかはわからないし東洋発でナントカの法則とかそういうのってそもそも何があるのかな、とかつつきたい重箱の隅がいっぱいありそうな話だけど、感覚的にはわかるような気もする。

それはそれとして、そういう話を聞いて思い出すのは、概念としてあまりにも基本的すぎるために、元は人名だったものが既に一般名詞なんだかわからないような状態にまで至るようなことがある、ということだ。

具体的にはベイズ方程式、マルコフ過程、カリー化のようなことを考えている。「マルコフ性」なんて言葉は文脈がわからなければ「マルコフさんらしさ」という意味だとしか思えないし、カリー化にいたっては英語では currying と動詞と化しているし、世の中に氾濫しているベイジアン云々なんてもはや何が何やらという感じだが、ここまで基礎的な概念に人名がついているというのは驚異であるし、その実に基礎的な概念が実は広く有用であることを見出して定式化できてしまた彼らも驚異である。そんなわけで、こういう言葉に言及するたびにぼくは、この人たちの人生について思いを馳せてしまう。こんなのは皆さんの専門分野にもいっぱいあると思うので、各自で思いを馳せてほしい。

ところでアロンゾ・チャージはともかくロッサーの方はどういう人?

4 Responses to “人名を使うということ”

  1. yoriyuki

    生誕100周年だったらしいです。http://www.ucalgary.ca/~rzach/logblog/2007/01/rosser-centennial-year.html

  2. 杉並太郎

    伊藤の公式というのがある。
    一方、互除法はEuclidean algorithmだから、発信地より着信地の風習なのかもしれない。

  3. モりやま

    エザキダイオードとか

  4. モりやま

    (上のもだけど)方程式じゃないけど
    Ω、A、V、Hz、Ci、fm、F、Åとか単位で人名が残ったりしてますな
    Y(ユカワ)は日本だけなのかな