柴野さんのこと
柴野拓美さんが亡くなったらしい。
わたしはこの世代のSFファンとしては珍しく、柴野さんにお会いし、話したことがある。日本SFファングループ連合会議に関連して柴野さんのお宅に訪問する必要が生じたとき、いっしょについて行ったわけである。
その時の思い出は二つある。
ひとつは、柴野さんより訳書である『スリランカから世界を眺めて』を頂いたことである。本棚見学をしていて余っていたので一冊いただいたわけだ。この本はサンリオSF文庫で出たあとでハヤカワ文庫NFとして出直された。私はハヤカワ版を頂いた。サンリオ版とハヤカワ版、どちらが欲しいか訊ねられ、「さ、サンリオ版を……」と言いかけたところ、ハヤカワ版の方が訳を直したからいいのだが、とおっしゃったので、ハヤカワ版の方を頂いたのである。もちろん、サインももらった。
もうひとつは、ちょっとした雑談のときの思い出である。柴野さんといえば、いつもにこにこと笑っておられる温厚なおじいさんという印象を当時のわたしはもっていた。実際そういう人物だった。しかし、柴野さんを知る人からの証言から判るように、柴野さんは妥協を許さない人でもあった。SFかくあるべし、という理念があり、いいものはいいといい、悪いと思ったものはすぐに指弾する人だったという。
で、雑談。話は当時のSFマガジンの、とある連載の話になった(柴野さんの人柄を伝えるのが目的であり、批判を残すことが目的ではないので、具体的な話はここでは避ける)。どう思う、と普通に感想を聞いてこられたのだが、困ったことに個人的にはあまり面白いとは思っていなかった。柴野さんがどういう思いなのかわからなかったので、わたしはごく無難に「いや個人的にはあれはちょっと……」といった言葉の濁し方をした。すると柴野さんは我が意を得たりといった表情で「そうでしょう」といい、それから的確だがなかなか厳しい指摘をされた。こちらの方がむしろびっくりしてしまい、どう反応していいのかわからず困ってしまったぐらいだ。
正直に言うと、柴野さんのお宅を訪ねるという目的についても、下世話ないい方をすれば隠居した長老への挨拶といった意味合いで考えていた。けれど、びっくりすると同時にわかったのは、このじいさんは楽隠居の長老などではぜんぜんない、その当時でもSFマガジンを普通に読み、SFファンにあえば感想を語りあって、好きでない作品があれば遠慮なく批判を展開する、まったく現役のSF読者だったということである。あの年でこれは、すごいなとも思ったし、こう老いたいものだとも思ったものだ。
謹んで哀悼の意を捧げる。