京都SFフェスティバル2009

This entry was posted by on Monday, 12 October, 2009

京都SFフェスティバルに行ってきた。今年も前日より休みをとって京都入りし、ホテルに泊まって万全の体制で臨む……つもりであったが、例によって前泊組などでKEGで飲んでいたのですっかり寝不足&宿酔になってしまった。

1コマ目のベイリー追悼は大森望、大野万紀、山本弘の3人による追悼企画。「打ち合わせをしていない」という通り、微妙な間があったりもしたが、ベイリーの奇妙さを讃える好企画であったと思う。ところで企画では「本気だかネタだか分からない」とか「トンデモすれすれ」とか言われていたベイリーのアイディアだが、個人的にはアレはやっぱり基本的に本気だったんではないかと思っていたり。トンデモさんであっても小説としてずば抜けていれば評価されるのだ、ということではないかなあ(ヤクーザ・ボンズとかの妙なオリエンタル趣味はどこまでマジだったのかわからんけど……)。

2コマ目の円城塔・新城カズマ対談のときに眠気はピークに達し、ついに寝てしまった。おかげで宿酔は抜けたのだが、全然聞けなかった。断片的には聞こえていたが、エルフ語のゴッドファーザーとはしかし、なんだろう。

3コマ目の岸本佐知子インタビューは、なぜかインタビュアーが国書刊行会の樽本周馬。樽本さん、別に岸本さんの本を編集したことはないはずだが……ともあれ、これは岸本佐知子の面白さが存分に発揮されむちゃくちゃ面白かった。SFとは微塵も関係なく、国書刊行会伝説や編集者のすごい話を話しているパートは長かったけれども。岸本佐知子は初めて実物を見たが、榎本俊二『思ってたよりフツーですね』に出てくるイメージそのままであり、見ながら「ああこの人であれば好きな映画は『あずみ』だとか平然とのたまい、周囲を混乱の渦に巻き込むであろう」と深い納得を得たことであった。

4コマ目《想像力の文学》企画。出演の遠藤徹はあんな作品を書いているわりには、極めて人当たりのいい好人物といった印象でちょっと驚いた。一方の平山瑞穂は作品からイメージしづらい人だけど、なるほど、という感じではあった。想像力の文学という掴み所のないシリーズに対しては、微妙に焦らすような司会をする塩澤編集長は実に適任。遠藤さん、平山さんという二人のデビューまでの話を掘り起こしつつ、間接的に想像力の文学というものの位置づけを行ってなんとなく観客に納得させるのだが、肝心なところを自分で明言するのはうまく避けていた。

というように、今年はどれも好企画だった(寝てた2コマ目についてはようわからんけど、少なくとも私の周囲の反応はすこぶる良い)。観客も多く大盛況と言っていい状態だった。

合宿

1コマ目は未来の文学の話を聞いてきた。第3期はダールグレンから始まる。予定は来年春ということ。ダールグレンはかなり最後まで訳されている(全800ページぐらいのうち720ページぐらい)のでそのぐらいには出るのではという感じだそう。ヴァンス、エリスンあたりがそれに続くらしい。個人的にはヴァンスを待ってるので、ダールグレンが遅れるようなら先にヴァンスを出して欲しいなあ。なお、スラデックは出ないらしい。

2コマ目はペンギン・サマーの企画へ。『ペンギン・サマー』は大森望の帯と知り合いが編集したということで半ば記念品のつもりで買ったが、読んでみたら面白く読めたので聞きに行ったのだが、考えてみると作品としては全て読者に明かされているわけで、改めて語り起こすところがあまりない気がした。途中で抜ける。

3コマ目は狂乱西葛西日記20世紀remix刊行記念の昔語りの部屋。どういう昔語りになるかと思って見に行ったが、実際に狂乱西葛西日記の冒頭から順番に見て当時のことを昔語りするというマターリ企画。途中で抜ける。

4コマ目は日本SFアンソロジー企画。大森さんが今度やるというNovaというアンソロジーの話を聞こうと思って行ったのだが、リストが配られたあとは主に年間SF傑作撰の作品選択の話、というか京大SF研現役の某氏が勝手に選んだリストを見ながらどういう意図なのか、どういう作品なのかを大森・小浜ペアが聞くというスタイルの企画に。途中で抜ける。

というわけで途中で抜けてばっかりで、そうなれば大広間でだらだらと過ごすといったことになるわけであり、自分もSFゴロ化しつつあると危機感を覚えつつある。もうちょっとどうにかした方がいい。事前の準備とか、コンディションの調整とか、自己紹介のときの言葉とか、いろいろ駄目な感じ。

今年の京フェスは非常に楽しかったのだと思うのだが、個人的な事情の方は反省点が多く、もうちょっと考えた方がいいと思ったのだった。

Comments are closed.