『チェンジリング』
面白かった。
1928年3月、ウォルター・コリンズという9歳の少年が誘拐された。母親のクリスティンは警察に相談。5ヵ月後に警察から「息子を保護した」という連絡を受け、喜んで行ってみるとなんと人違いの別人。「息子じゃない」と訴えかけるが、風当たりの強かった警察はなんとかして事件を解決したことにしたかったため、母親の訴えを取り合わない。それでも様々な証拠を集め、保護された少年が自分の息子ではないという訴えを警察にしたところ、これをもみ消しただけでなくクリスティンを精神錯乱、妄想などと言い立て精神病院に送ってしまう。一方、ワインヴィルにあるゴードン・スチュアート・ノースコットの養鶏場で、ちょっとした疑惑(カナダからの不法入国した者の噂)が持ち上がり、警察が赴くが……
……という粗筋のあたりまで物語が進んだ段階では、いったいどういう方向に物語を着地させるつもりなのか見ながら不思議だったが、クリスティンが反撃に出る展開になってこれは予想外だった。もっと救いのない終り方になるのかと思ったが、最後には少なくとも希望が見出されて物語は終わる。とはいえ、結末は今ひとつすっきりしない。ノースコットは最後までぐだぐだな感じがよく出ており、これはあえて綺麗に決着をつけることを拒否したのだろう。
それにしてもこれが実話ってのはすごいよ。あまりにもひどい話。実際にWikipediaやL.A.Timesの記事などをみると細部は微妙に違うことがわかるのだが、ともあれ大筋は間違っていない。そういえば検索すると他のキーワードに「チェンジリング ネタバレ」というのが見つかるけど、実話なのでそういうのを読めばいいと思うよ。
けれど、結末を知っていてもなおこの映画はみる価値がある。ような気がする。その価値ってやつがどこにあるかはよく分からないが……。間違いなく、キーワードとして脚本家が想定しているのはresponsibilityだが、これをどう当てはめてどう読みとくか、というのは面倒そうなのでやらない。