梅田望夫は「意」か「情」か

This entry was posted by on Sunday, 9 November, 2008

意の文化と情の文化という記事を読んで、なるほどなあと思いつつ未読なまま(帰国したら読もうかなと思っているが)これは応用が効きそうだな、ということをいろいろと考えていたのだが、さて梅田望夫は意か情だろうか。

もちろん、人間そうそうどちらかに切り分けられるわけじゃないと思うのだが、たとえば彼もこれまでもいくつもバカバカしくひどいコメントを見てきたはずで、それで鬱屈した感情がついに噴出してtwitterに愚痴った、などといった見方は一面的だしどうもそぐわない(個人的には)。「おう、そうまでいうなら読んでから反論してやるよ!」とでもいうような反応を期待して怒ってみた(挑発してみた)のではないかな。でもそうであることを理解されない反応ばかりで、今頃は「失敗したな」と思っているのではないだろうか。

こういうことを書くと「そんなことまで推測して反応しなきゃならんのか?」みたいなそれこそバカバカしい意見が出て来るものだけど、もちろんそんなことはない(書いたものに対する反応を見誤ったのは彼のミスだろう)。けど、まさに情という側面だけで自分が傷つけられたと感じて反応するのはそれこそ全然生産的じゃないような気がするし、反応を見ているとすっかり梅田を叩くという「空気」が醸成されていて、本来的でない点(たとえば書評の体をなしていないとか文章がよくないとか、そういう辺り)を攻撃しているのを見るにつけ、炎上ってのはこういうものだとわかっていつつなんだかなあと思うのだ。

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