石黒正数の「日常」
『それでも町は廻っている』はじわじわと好きなまんがなのだけれど、今回は SFだったりするようなはっちゃけた感じはなりを潜めて、日常的な事柄をおかしく描いている。このまんがについてはぼくは1巻の最後のエピソード(弟と妹がふたりで火事を見に行く話)とかが好きなので、けっこうよかった。ミシンソバのオチとか、正月の「もうこりごりでヤンス」なオチ……のあとに1ページあったりするところとか。
でもやっぱりこの漫画で感心するのは、そういう大枠の面白さもさることながらもっと細かいところで妙に凝ってるところにあるよーな気もする。4巻の正月ネタで、紺のところに来ていた年賀状3通のうち、1通は歩鳥、もう1通は針原なのだが残りは誰かというと、実は成嶋悟って書いてあって、誰かというと3巻の仔犬のエピソードに出てきたヤツなんだが、実は名前が出てくるより前に学園祭のエピソードで聴衆として登場していて、「ボーカル誰?」「紺だよ」「ウソ!?」って言ってたりする。というところから妄想たくましくいろんな物語を構築することはできると思うのだけれど、ともかく、そういうそういう妙に凝った(しかし無意味な)仕掛けがいっぱいあって楽しい。
こういうのは、このまんがを楽しむ上ではまったく必要がないことだし、作者も一種のお遊びとしてやっていると思う。でも、そうやって歩鳥の目線からは見えてこないことが裏でいろいろあって、そういういろいろが日常ってやつを下支えしている。それでも日常は巡りくるっていうこのまんがの雰囲気を支えるひとつは、こーゆーところにあるようにも思う。
一方の『ネムルバカ』は出口の見えないミュージシャン志望の「先輩」と一般人の「後輩」のぐだぐだな日常。ただ、上で書いたような意味での日常性みたいなものはこっちにはなくて、だからぼくはそこまで高い評価じゃないのかもしれないけれども、やっぱり面白い。『それ町』は高校生だけど、『ネムルバカ』は大学生だけに、出口の見えないぐるぐるした日常はちょっと切実で切迫している。ちょっとだけ。
>あの人分かってねーな/やりたいことのある人とやりたいことがない人の間に/何かしたいけど何が出来るのか分からない人ってカテゴリーがあって/8割方そこに属していると思うんだがね
切迫してぐるぐるした日常とか、上で挙げた台詞とかはデビュー作の「ヒーロー」という作品(Present for me所収)にも共通する気がする。変身ヒーローが悪の組織をついに壊滅させてしまってやるべきことが見つからなくなってしまう、という骨子はぜんぜん違うけれども。
『ネムルバカ』はオチがなんというかアリガチというか、音楽をやっていた人がとつぜんメジャーデビューして……みたいな展開が来たらこうなるしかないような結末だったのが、ちょっと残念。こういう展開は好きなんだけど、好きなんだけど、読んでいて醒めた視点で見てる自分もいたりして。「日常のぐるぐる」がこのまんがの骨子だとすれば、この結末はイイけれども大いなる蛇足であるわけで、ひとまず物語として決着をつけるために必要なものなのだろうと理解している。
それにしても「戸川純の再来といわれた泯比沙子の再来か!?」ってどんな煽りだ。