ラオウの葬儀について思うこと

This entry was posted by on Saturday, 21 April, 2007

ところで、なんかどっかであったらしいラオウの葬儀っていうのはオレは無性に腹がたつ。

今朝方どこかで読んだ誰かのはてな日記にも書いてあったんだけど、「我が生涯に一片の悔いなし!」と言って死んだ男、無抵抗主義の老人を惨殺した男(これは記憶にないなあやっててもおかしくないけれど)、拳王を目指したあの男になぜ葬儀か、というのが疑問の一。弔うなら、ラオウなんかよりもまずトキが先だろう。

そもそもラオウの命日っていつなのかがよくわからんのが疑問の二。なんでいまごろ葬儀をやるの?

いや映画がどうこうとかしたり顔で言わなくていいですよ。オレが言いたいのはそういうつまんないことじゃなくて、理由をつけろっていうことですよ。北斗の拳というのは設定が未来なわけです。アトムの誕生日を祝ったように、作品内時間と現実が一致したならそれもいいでしょうけれども、西暦199X年から何年後なのかよく知らないんだけど2007年くらいなんですか? ケンとラオウの激闘は実は4月のころだったんですか? オレが知りたいのはそういうことなんですよ。

フィクションで「遊ぶ」っていうココロはオレはすごく好きなんだけれど、そういうことをキチッとした本気の遊びじゃないと意味ねーよ、ってオレは思いますね。

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