神永正博『食える数学』
世の中には「美しい数学」だとか、天才数学者の生涯、みたいなロマンチックなイメージが多数ある。だがそういうのではない実学としての数学、「食える数学」について書いた本だという。
なるほど、と思う。工学の人間であるわたしからすると、数学というのはとても便利な道具である。欠かすことはできないが、数学の美しさというのは正直いって、まあよくわかるというものではない。だが数学が形而上的な世界で遊んでいるだけの学問ではないとも思っている。
著者は大学レベルで理系(や経済学など)が学ぶ「ツールとしての数学」を「数学Ⅳ」と呼ぶ。高校生までで学ぶ数学が「数学Ⅲ」だったことを踏まえた命名だろう。それに大して数学科では、また少し違った、厳密性と一般性にこだわった「数学科数学」をやるのだという。大学レベルの「数学」のうち、この2つはまったく違った分野である、ということを喝破して命名したのがこの本の手柄のひとつだろう。
だが、なんだか読んでいてどうも変な気がする。この本の想定読者は、一体何者なのだろう。この本を読むことで読者は何が得られるのだろう。
この本は全体としては3つの章で構成される。1章は、実際に役に立っている数学分野を紹介している章で、暗号、微分方程式、フーリエ解析、確率論と統計が紹介されている。2章は、上で述べた「数学Ⅳ」と「数学科数学」について説明し、数学者のあるあるネタみたいなものや、なぜ数学者が厳密性や一般性にこだわるのかといった話を経て工学系の学生がどう数学を学ぶべきかといった教育の話題について述べている。3章は数学に苦手意識を持っていそうな人が、どうやって数学を学んでいけばいいのかというアドバイスといったところか。とくに小中学生レベルの数学の習得について説明している。
ね、誰向けなんだかよくわからないと思いませんか。
数学には実際に役立つ分野はある。いっぱいある。それを紹介する本はありだとおもう。「数学ってこんなに役立つ分野なんだ」って啓蒙されるかもしれないし、読者の知的好奇心も満足される。学部の1、2年生や数学科の先生なら2章の議論は興味を惹かれるところだろう。ここでの著者の主張はわたしもそれなりに納得がいく。高校生までの人や、数学と縁遠い生活をしてきた人も3章を読めば数学への苦手意識が減るかもしれない。
だが、どれもこれも食い足りないし、それこそ「厳密性」に欠ける文言が多く、そしてなにより本としての一貫性が全くない。だからどうした、という感じだ。著者はこの本で何をしたかったのかが最後まで見えてこず、なんとなく思いついた順に思いのたけを書いたという印象をうける。
まえがきで著者は、「いま必要とされているのは、ロマンや教養だけではない。「実学」としての数学書が、一冊くらいあっても良いのでは、と思ったからです」と書く。100%同意する。で……数学書ってなんだっけ? この本はどういうタイプの数学書なのかな?
ようするに著者からのメッセージがないわけだ。実際途中まで読んでいて「あれこの本てどういう本なんだっけ」とまえがきを読み返し、↑の文言を見つけたぐらいで、読んでいて困惑する。「数学書」ってなんなんだろう。少なくともこの本は数学の入門書ではない。この数学は食える、と先導し、紹介する本でもない。教育手法の本としては問題提起も結論も散発的だ。
ひとことで言うと中途半端、ということだと思う。