高野史緒『赤い星』
いやーすごかった。
帝政ロシアが支配する江戸、吉原を舞台にしたサイバーパンクといった趣き。死んだはずの先代ロシア皇帝の遺児が秋葉原に潜み、徳川の血を引くという噂の花魁は策謀する。江戸なんだけど秋葉原はおたくの街で、セカンドライフみたいな電脳空間にはアニメキャラが溢れる。無作為なポップアップ広告を華麗なマウスさばきで撃墜しながら無料動画を眺める若き修道僧。テレビではシベリア横断ウルトラクイズの司会が「ペテルブルグに行きたいかーっ!?」と叫ぶ。もうムチャクチャだ。
ついでに言うと、この作品はどういう時代のどういう物語なのか、実際のところよくわからない。というか、辻褄があっていないように思える。イワン雷帝に言及がある一方で人類はすでに宇宙時代にあるようだし、「ソ連時代」という表現もいくつか見あたる、といった具合で、いったいいつごろロシアは日本を支配下に置いたのか、どのような経緯を経て現代的な秋葉原と時代錯誤な吉原が同居しているのか、とかいったことを考えだすとかなりデタラメ。もう好き勝手に書いているとしか思えない。
でも、それでいいんだと思う。たぶん。
『ヴァスラフ』とかもそうだったけど(『カント・アンジェリコ』もそうだったかな)、この作品もそうしたキッチュな世界観と同時に、曖昧模糊とした世界の成り立ちが描かれる。アリガチと言っていい「いままで現実だった世界が崩壊する感覚」とも少し違う、妄想対妄想みたいな。うーん、何と書いたらいいのかわからないが、登場人物たちは妄想的な複数の世界を行き来しながら、いったい何が現実なのか?と思い悩んだりする。けれども、けっきょくどの世界も作者の妄想の産物でしかない。しかもそのようなメタ的な読み方ができるということに高野史緒はかなり自覚的で、自覚的にこういう妄想を綴っている、んじゃないかと思う。
けっきょく何もかも夢とか妄想みたいなものだから、先に述べたように細かいことを考えだすときりはないのだが、むしろ細かい齟齬や「あれっ?」と思わせる記述があることによっていかにも夢のような感覚は強まり、作者の妄想の強度はむしろ保たれている。
いや、すごいなー。