DAICON7 新幹線編
飲んでいたら細井さんが「東海道線が雨で止まっている」と教えてくれた。小田原のあたりが大雨なのだそうだ。これからなんとか飛行機のチケットを確保して関空から帰るか、新幹線で乗れるところまで乗るか、選択を迫られる格好になったが、飛行機は繁雑なので(この判断は後でちょっと後悔)ともかく急いで新大阪に行き、行けるところまで行くことにした。ちなみに大阪は晴れ、東京も雨は小降りだったから空路だと何の問題もなかったらしい。
そんなこんなで新大阪に来てみるとノリは案外と軽く「遅れが出てますが今は運行は復旧しています」といった調子のため、気軽に20時37分発のぞみ50号の指定席を購入。軽い気持ちでホームで待っているとひとつ前の列車が来て、多少の遅れはあるものの発進していき、問題ののぞみ50号がホームに入ってきた。
さっそく乗り込み、指定の席に陣取っていると、いくら待っても動かない。小田原の雨足が強くなって新幹線の運行が停止しているらしい。それでも何とか動かせるところを動かしてきたが、のぞみ50号が新大阪に来たところで東海道新幹線の各駅に新幹線が停車して復旧待ちという状態になってしまったらしく、ぜんぜん動かない。 mixi を見てみると、自分より何本か早く出た人たちが、ある人は浜松で、ある人は三島で、といった風にそれぞれの箇所で困っていて、情報を共有できたのはちょっと心強かった。
さてどうするか、と少し考えたのだが時間的には関空の飛行機はもう終わってるしできることは何もない(後付けで考えると深夜バスのチケットを取るというのはありだったかもしれないけど)。やることもないので追い出されるまではこの席でねばるか、と決意し、本を読んだりたらたらと寝たりして過ごす。周囲は苛立っているというよりは状況を半ば楽しんでいるようなノリだったので気楽だった(まあ苛々する人たちは早々に降りて何か手を考えていたのかもしれない)。新大阪は雨は一滴も降っておらず「すごい雨なので進めません。復旧の目処は立っていません」といわれてもどこか対岸の火事のような雰囲気があったのも、よかったのかもしれない。
さて、暇なのでweb上の天気予報をいろいろ見てみたが、確かに東海道の南あたりに低気圧が陣取っていて雨を降らせているらしい。しかも翌日になっても低気圧の位置はほとんど変わらず雨は降りつづけるということが書いてあってくらっとする。が、よく読むと翌日の雨は小降りなようだから、この夜中から翌朝にかけて雨足は次第に収まるはずで、その時点で動き出すんじゃないか、と検討をつけた。あとはそれがいつになるか、ということだが、このままホテルに帰って翌朝を待つよりはこのまま動く(か彼らが諦めて追い出される)のを待とうと決意した。
そんなことをしているうちに0時を過ぎたころくらいか、ちょっと隙間が出来たのかともかく京都まで行く、というアナウンスがあって京都へ。それでまた京都でもしばらく停滞し、さて、京都で待っていると雨が「小康状態」になっているらしいという話になってきた。雨が弱まるのは思ったよりは早かったようだ。といっても小康状態でもけっこう降っていたようで、点検にそれなりの時間をかけ、けっきょく1時過ぎぐらいに新幹線は京都を出たと思う。
この時点で席はまばらになっていたが、隣席には人が座っていて横になれない状態で非常にきつかったが、名古屋に到着した時点で残っていた乗客の過半は降りてしまった。まばらといってもそこそこ乗客がいる状態で「意外とみんなねばるな」と思っていたが、そうか名古屋までだったらねばれるよなあ……と納得。ともあれこれで隣席があいたので3席を使って横になって寝ることができた。寝転びながら「これで雨がまた急に強くなって脱線したら意識がないまま死ぬかな」などと思っているうちに熟睡してしまい、けっきょく「小康状態」がどの程度の雨なのかもわからず、気がつけばもう新横浜に到着していた。朝の4時前ぐらいだろうか。4時間46分遅れだそうだ。ところが新横浜では入れるホームの調整に手間どって時間をくっていたから、またちょっと寝るか、と横になって、まだ動いてないのか、と起き上がったら品川についていた。
品川で降り、特急料金の払い戻しの手続きをしてもらい外に出る。もう空は白みはじめていて、山手線なら動いてそうな雰囲気だったが、疲れているのでタクシーで帰宅して3時間ぐらい寝て起きたら体力が快復していたので(やはり横になって眠れたのがよかったようだ)、ふつうに仕事に行きました。
しかしなあ、「おうちに帰るまでがSF大会です」とかよく言うけど、「おうちに帰るまで」がここまでしんどかった大会も初めてでしたよ(笑)。月曜まで休暇を取っとくんだった。